COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.22 「またもやBig Wave! 音楽は乗り切れるか!?」 

2015-06-09

今年は我が国において音楽のストリーミング配信元年になるという報道を目にしました。アプリの巨人LINEが、満を持して音楽のストリーミング配信を開始するとのこと。また、日本のレコード会社各社も通信会社等とタッグを組み、新たなストリーミング配信サービスに続々参入の模様。いやはやなんとも、相変わらずネット業界は忙しい。デジタルの音楽配信がついこないだ整ったところじゃなかったでしたっけ!? しかしこれで音楽ユーザーにとってはますます手軽に身近に音楽が聴ける(手に入る)環境が整おうとしているわけです。朗報です。しかしちょい待ち!? ここ数年、音楽ユーザーにとっての朗報が次から次へと続いていますが、それは、日本の音楽産業サイドにとって必ずしもウェルカムなものとはいえない状況になっているんじゃなかろうか。という疑問がボクの頭の中でグルグル回っています。毎度毎度書いているように、気軽に手に入るということは、音楽とユーザーの関係性がますます希薄になってしまうのではないかと、いつもボヤいているボクは心配性過ぎるんですかねぇ…? 音楽関係者の若手にはLINEの参入、並びにストリーミング配信元年を歓迎する声が多いのですが、結果自分たちの首を括るハメにはならないだろうかと心配しています。その昔、ネットが普及し始めた頃、音楽のデジタル配信が開始されると業界の若手は諸手を挙げて大歓迎。キーボードを打ったことのないレコード業界のお偉いさんまでもがマーケットの拡大に繋がると心躍らせたものです。ところが数年すると音楽産業の一番の稼ぎ頭であるパッケージの売り上げがあれよあれよの間に減少。そこへもってきて、スマホの爆発的普及で音楽配信に拍車が掛かり、そして今度は定額のストリーミング配信サービスへと進みます。まさに音楽を生業とする人間にとっては、“音楽の普及”どころか“受難の時代”の到来と危機感を持った方がいいんじゃないかとボクは考えているわけです。

基本的にネット社会を取り巻く環境は、常に英語圏を中心に動いています。現に米国では音楽のデジタル配信サービスで相変わらず億万長者のアーティストがゴチャリと登場してきています。配信サービスのような薄利多売なビジネスであったとしても、そこはなんてったって英語圏の音楽はワールドワイド、マーケットのキャパが格段に違うのです。だから音楽の配信事業は米国のシステムのフルコピーでは日本やアジア諸国では通用しないんじゃないか、そんなことを最近考えるようになりました。

そこへ輪を掛けるように、また新たな問題が降って湧いてきました。コンサート会場の減少が叫ばれているのです。これは2020年の東京五輪に向けた準備や施設の老朽化によって改修、閉鎖をする施設が相次ぎ、コンサート会場が圧倒的に不足するというものなのです。来年の2016年にはそのピークを迎え、主要都市で約15万席がなくなってしまうらしい。コンサートへの動員が右肩上がりというこの時期に水を差すようなこの話題。全くもって受難の時代の到来です。と、ここまで書いて、イカンイカン! ついついぼやきジジイになってしまうところでした。無責任に楽観的過ぎる発言なのかもしれませんが、音楽はいつの時代も新しいマーケットを開拓し常に変化、前進してきました。そう、転がる石のようにね(Like a Rolling Stone!)。

先日、ボクの参加するFM番組で20歳のMCアシスタントがなんとフェイバリットソングとして、ボクの大好きな友部正人氏の曲『もしもし』を紹介していました。1972年の作品ですよ。フォーク世代のバイブルともいえる作品です。ビックリしました。音楽はやはり聴く人の感性に訴えかけるものだと改めて気付かせてくれる嬉しい出来事でした。そしてこう思いました。いつの時代も出口が見えない問題に突き当たった時にこそ、常に音楽は新しいエネルギーを与えてくれていたように思います! 世界大恐慌の時も、ベトナム戦争に多くの人が疲れ果てた時も、音楽は様々なシーンでボク達に向けて勇気を発信してくれました。だからこそ産業のデジタル化、そしてグローバル化という複雑な大きな波の到来にあっても、音楽はきっと乗り切ってくれるんだとボクは密かに、そして強く信じています!

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