COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.23 「スマホって、サイコー!?」 

2015-07-18

先月Mac用キーボードを購入しました(デコボコ型の打ち込みストロークが深い旧型のキーボードです)。少々麻痺が残る右手でもコンピュータ打ち込みが楽になるようにと、IT企業に勤める友人に探してもらったモノです。一昨年最新型のMacを手に入れたのですが、タッチレスポンスタイプのキーボードでは少々使いづらいんです。視力が弱い上に手の感覚にも問題あるので、キーを探しているうちに、叩きたくない文字がぁあああぅううううううう、とまぁこんな具合に不気味な打ち込みが四六時中勃発しちゃうわけです(笑)。なのでキーボードに触れながらキーを確認しつつ打ち込み作業が出来るようにしたかったのです。「じゃぁ、いっそ“音声認識”できる文書作成ソフトを使ってみれば、もっと楽にできるんじゃない!?」との声を多くの友人からもらったのですが、困ったことに、ボクは言語機能にも障害を抱えているのでそうもいかず……そこでまずは旧型のキーボードを手に入れることから始めてみようとなったわけです。しかし、やれやれ、ここまでを打つのになんと4時間以上もかかっております。(ここで少々休憩を戴きます……失礼!?)

さて、一呼吸おいて(と言いながら2日目です!?)ふと気づいたのですが、このコラムは2年近く続いているわけです! じゃぁ、いったい今まで誰が書いていたんだ?と不審に思う方もいるのでは……いやいやもちろんボクですよ! とは言っても奥さんに原稿の打ち込みをお願いしていたわけなんですが……。で、話は前後します。コンピュータを自力で打とうと思い立ったのにはわけがありまして。それは、友人達に送るメールで、いつもいつも“絶不調です”と書き続けていることに少々あきてきたからで、そのうえ代打ちをしてもらっていることへのひけめ(?)を感じていたというか、タイピング担当の奥さんに毎度毎度申し訳ない気持ちでいっぱいでしたからね。なんたって発症もう7年ですからね。ここらで、自力でどこまで出来るのか? それに挑戦してみようと思ったわけです。ま、自身への好奇心の更新みたいなものですかね。

自力執筆もなんと3日目に入りました(!?)。こんな調子でコンピュータと格闘しておりますと、初めてMacを手に入れ、キーボードを放り投げんばかりにイライラしていたというか、悪戦苦闘の毎日を送っていた頃のことを思い出しました。1987年のことです。ワープロがやっと普及し始めた頃です。なにせボクの新しモノ好きは当時の雑誌『ポパイ』編集部でも頭1つ抜き出ていましたからね。携帯電話を持ち始めたのもこの頃でした。まだdocomoなんて存在もせず、NTTと自動車電話契約をしてはじめて所有できる高額品、デカい弁当箱のようなショルダーフォンでしたから、とにかく目立つ目立つ、どうでぇ俺は最先端機器を使ってんだぞ!? といかにも自慢しているかのようで……いつも路地裏に入ってはコソコソ電話っていうのが主な使い方でした(笑!?)。

様々な産業レベルでは当たり前のように普及しておりましたが、民間レベルでは携帯電話もコンピュータも“まだまだ”の域にありました。そんな中にあって音楽業界はどうだったのかというと、最先端テクノロジー導入の最先端(?)をいつも走っているのが音楽業界と言われていました。デジタルテクノロジーはボクがレコーディングに参加しだした80年代後半にはすでにポピュラーでした。シンセサイザーやデジタルドラムは当然のようにコンピュータ制御となり、録音は24トラック(ch)のアナログレコーダから48トラックのデジタルレコーダに移行したかと思うと、90年代に入りMac+ハードディスク・レコーダ上で作動させるレコーディング・ソフトがあれよという間に主流となり、コンピュータによる“なんでもありの時代/打ち込みレコーディング時代”へと音楽のレコーディングシーンは様変わりして行きました。2000年代に入ると、録音のためのレコーダはもはや過去の産物となり、レコーディングの主役はすっかりコンピュータです。録音のトラック(ch)は理論上いくらでも増やせます……ヴォーカルであれ楽器であれ、音程やリズムの誤差修正はいとも簡単に可能。気に入った音を自由にコピペ(?)できる“サンプラー”なるマシンもレコーディングには不可欠となり、音楽シーンにおいてコンピュータは、ある意味魔法の杖ではないのか、とさえ思えるほどの活躍ぶりです。音楽業界にはボクとは比べものにならないほどのMac信者がどっさりいましたから(これほんとです)、魔法の杖の浸透ぶりときたらそれはすごいパワーとスピードでした。そして、タイミングが良かったのか悪かったのか、はたまた必然だったのか、音楽のデジタル配信が始まったのもこの頃です。音楽シーンは一変しました。音楽&映像の違法配信の増加、ストリーミングによる定額配信サービス等のポピュラー化の波等々でCD等のパッケージの売り上げは激減、ミリオンヒットの連発など遠い昔の話となってしまいました。

そして、スマホの登場です。このデバイスは、世の中の流れ全てを変えてしまいました。まぁここでボクがスマホの増殖ぶりとその影響など語らずとも現在使ってらっしゃる皆さんの方がそのへんのところはよ〜くご存じのハズです。いやボクも持ってるんですよ。でも、この状況です、使えるはずもなく、もっぱら奥さんの愛器となっております。Mac信者としてiPhoneを持っていないなどということはありえませんから(苦笑)!? 

スマホの登場はボクが大病を発症後のことですが、テレビから流れてくるスマホの弊害話を聞いていると、スマホ現役でないボクとて容易に想像できるネタのあれこれ。だってクセになるでしょスマホって! 携帯電話+タブレットPC+デジカメ&ビデオ+デジタルミュージックプレーヤー+ゲーム機+ポータブルテレビ+etc、それが1台にしかもコンパクトに集約されているんですよ。このオールインワンはある意味無敵でしょう!? 無敵のぶん中毒化と言うか過度の使用、そして依存症が問題となってくるんだろうな……。

で、やっとこさ本題です(フ〜ッ)。一昨年位からいくつかのバンドを「聴いてみてもらえませんか?」との相談を受け、若い音をボクなりに聴いてみたのですが、いやいやちょっとびっくりしました。うまいんだけど、おもしろさがないというのか、まるで新しくない! イカ天の時代じゃないんだから。「ウ〜ン」と首を傾げてしまいました。どういうわけかこの時期この手の相談が続きました。

その翌年あたりからFacebookで友人の音楽関係者の“ボヤキ投稿”が急増しだしました。「もうちょっと勉強してほしいよな」とか「コピー的なテクはすごいんだけどねぇ」とか「オリジナリティがさ…」とかとか、あれれ、これってボクらが若い頃に周囲の大人たちからクドいほど言われていたことと同じじゃねぇ!?  ん〜なんとも考えてしまいます。確かに60年代・70年代のロック創世記のサウンドには含蓄があります。新しくありたい! 誰のマネもしたくない! そんなピュアなパッションに裏打ちされたサウンドには確かに驚くべきパワーの説得力があります。ボクもそう思ってますよ。ですが、説教くさいことばかり言っていると、「昔は良かった話」しかできないオジサンになってしまいます。自身の若い頃のことをよ〜く思い出してみてください。ウザかったでしょ、面倒くさいことばかり言うオジサンたち。ブツブツ言うのは分かります。でもねぇ〜、嫌われちゃいますよ。ボクが“イカ天”を経験したことで得たことは、若いアーティストたちは、間違っても説教を望んでいるんじゃないんです。理解ある先輩に出会いたいと思っているんですよ。本当です。もちろん若いアーティストは、あ〜言えばこう言う、こう言えばあ〜言う、てな具合で全くもって疲れます。ですが、「え〜いやめたやめた」とサジを投げる前に、今一度考えてみてください! そのアーティストを探し出したのはアナタでしょ。自分の感性(千里眼)を信じましょう! ボクはそんなときこう考えることにしていました。「ひどく疲れるのは、コイツらが凄いスピードで自分の前を走っているからに違いない……」とね。今の若いアーティストたちは、間違いなくスマホ世代です! いろんな意味で俊足だと思いますよ!?

ということで長々と約10日間をかけての自力執筆、話があちこちしました、大丈夫でしたか? お付き合い戴きありがとうございました!

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