COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.32 「VIVA オリンピック!」 

2016-05-16

先日リオデジャネイロで暮らす友人からメッセージが届きました。もうすぐリオオリンピックだけど、さすがにのんびり屋のラテンと言えども、そろそろ盛り上がってきたんじゃない? と連絡をしたら、彼女から驚きのメッセージが !? 

彼女のダンナさんは、外務省勤務で、オリンピック&パラリンピックの日本選手団受け入れ準備のため、昨年春からリオに出張している。出産前だった彼女は、次男を日本で生み落として(まさにまさに)一呼吸おいてダンナさんの待つ初めての地リオに親子3人で降り立った。そんな頑張り屋さんの彼女からの最新リオリポートがすごかった !?

彼女の暮らすアパートの近くに、オリンピック会場行きの地下鉄の駅ができるそうなのだが、入り口は今だバリケードに閉ざされたまま一向に出来上がる気配がない。心配になった彼女が「大丈夫なの?」と現地のママ友(すでにいるところが母は強い)に尋ねると、「大丈夫、大丈夫。だってまだ4ヶ月もあるでしょ。心配ないってば!」……だそうである !?
4か月も… やはり恐るべしラテン! なのだが、万事が万事そんな調子なので、彼女はあれこれ心配するのがバカバカしくなってしまっているらしい。陽気なラテンのうっちゃり勝ちってことですかね !? 初めての国で日々育児に奮闘するお母さんも大変でしょうが、ボクは、日本選手団受け入れ準備に日々奮闘するダンナさんのことが心配になってしまいます。まるで価値観が違う現地各方面のスタッフたちに振り回されてることは間違いないでしょうから !? ……ほんとお察し申し上げます。

ところでオリンピックと言えば、わが国もあれこれゴタゴタが続いております。国立競技場にエンブレム問題、そして各競技場の建築費の驚きの跳ね上がりetc. まだまだ、上げ出したらそれだけでコラムが終わってしまいそうな勢いで、なんとも情けないところでありますが、それでもボクはオリンピック開催は大賛成です。もちろん、無駄遣いは言語道断ですが、まぁあちらこちらにお役所仕事的ユルさというか甘さが…だからこそボクらがしっかり見届けなければ、しっかりしなければいけないんだと思ってます。このことに関しては、皆さんそれぞれ様々なご意見があろうかと思いますが、ボクはこう考えています。
“復興の向こう”に待っているのが、たまらない興奮や感動が炸裂する世界一のスポーツの祭典、それがオリンピックなんだと思ってます! で今回、ボクがそう思う3つのオリンピック神話のことをお話ししましょう。

まず第一は1964年の東京オリンピックです。
ボクは小学校2年生でした。ご存知のようにボクの出身は山陰地方で秘境と呼ばれていたほどの田舎です。そんな田舎ですらオリンピックの興奮で弾けていました。当時、料理屋を営んでいた実家には、お客さん用にと店にカラーテレビが設置されてたんです。当時はまだ珍しく、カラー放送(なんとレトロな響き!? )がオリンピックを機に数多く始まり、カラーテレビも爆発的に普及した頃のことです。オリンピックの放送がある時間になるとお店はオリンピックファンのおっちゃんたちでいつも混み合っておりました。それでお店がたいそう儲かったって話しじゃないんです!?  それは日本女子バレーボールチームが初の金メダルを獲得した日のことでした。お店のお客さんは誰もが食事そっちのけで応援に興じておりました。するとその中にボクのおばあちゃんの姿が。拳を振り上げ「やったれ~! やったれ~!」、あ、あの物静かなおばあちゃんが真っ赤な顔をしてです。しかもお客さんとはいえ見知らぬおっちゃんたちと、です。まさにオリンピック恐るべし!? オリンピックの“威力”を痛感した小学2年のボクだったのです。

思い返してみると、東京オリンピック前後で日本は大きく変わりました。新幹線が通り高速道路が伸びカラーテレビが普及し(フフッ、昔話と笑わないでください)……上げ出すときりがありません。当然その余波はボクの町のような田舎へもたくさん届きました。機関車(SL)はディーゼル車へ、道路はどんどん舗装され、そのおかげで物流が俄然発達し田舎町にもスーパーマーケットが誕生。パン食の朝食がどの家庭でもポピュラーになりました。電話がダイヤル電話になり、町のいたる所に電話BOXが出現しました。スマホ世代からすると“何言ってんの?”って話なんでしょうが、ボクらの時代とんでもない変化(進化)だったのですから…。
そして64年東京オリンピックは大成功を収め、終戦からの“奇跡の復興”を世界に知らしめたのです。だからボクはこう考えています。オリンピックの熱狂は、テレビの前で狂喜乱舞していたおばあちゃんやおっちゃんたちへのご褒美だったんじゃないのかと。だってそうでしょう、奇跡の復興を成し遂げたのは、間違いなくおばあちゃんやあのおっちゃんたちなのですから! そして東京五輪は、“次は世界と並ばねば”と高度経済成長へと日本を向かわせる大きな刺激となったはずなのですから…。

そう考えると、何だか現代とどこかかぶってきませんか? 復興からの世界的スポーツの祭典の自国開催、そしてそこからの“熱狂”というご褒美。……どうですかねぇ?

第二の神話は1984年開催のロサンゼルス五輪です。
このオリンピックは、まさにアメリカ的と言える画期的開催方法が取られました。大会の運営に税金を1セントも使わないというもので、放送権料、大会および競技のスポンサード、ノベルティーつまりマーチャンダイジング、そして大会の入場料、これらで大会運営を賄ってしまおうという五輪史上初となる商業五輪だったのです。これが大成功。赤字どころか多額の黒字収入を出したのです。そしてこの大会以降の五輪開催に大きな影響を与えることとなったんです。じゃぁ2020東京オリンピック・パラリンピックもそうすりゃいいじゃないかって? ところがどっこい、このアメリカ方式は大会を追うごとに膨れ上がる運営費用にとっくに追い抜かれて(?)しまっています。運営費用が膨れ上がるきっかけを作ったのもこのロサンゼルス大会とも言われているんです。その最大の理由がゴージャスな開会式です。この演出に、映画の都ハリウッドをかかえるロサンゼルスは意地を見せます。ロナルド・レーガン大統領による開会宣言、ジョン・ウィリアムズによるオリンピックテーマ曲、風船を持った人間による人文字、軽飛行機による「WELCOME」の文字の描かれた幕を牽引した展示飛行、飛行船2隻による巨大な「WELCOME」の幕の上空掲揚、個人用ジェット推進飛行装置・ロケットベルトを使った飛行(俗にロケットマンと呼ばれた)、多数のピアノを使用した『ラプソディ・イン・ブルー』の演奏などが催された。まさにハリウッド的演出山盛り状態、こんな開会式はかつてなかったんですから。そしてこの大会以降の開会式は前回大会を超えなければと、その費用がうなぎ登りに…、ったくアメリカ的というか、何でもかんでもビジネスのテーブルに乗せ、挙げ句の果てに国家間の競争心理までむやみに煽ってしまうというのは如何なものか!?

しかしロス五輪は悪しき前例(?)ばかりを残したわけではありません。
それがロス五輪で初めて行われた女子マラソンのガブリエラ・アンデルセン選手(スイス)のゴールシーンの感動です。
彼女は、トップ選手(アメリカのジョーン・ベイント選手)のゴールから約20分遅れでスタジアムに姿を見せました。スタジアムは彼女の様子に騒然、もう誰が見ても脱水症状を起こしているとわかる状態です。もうフラッフラです。すぐさま競技スタッフや医師が駆け寄ります。が、彼女は首を何度も横に振り、スタッフを振り切るのです。「最後まで、走らせて~!」彼女の悲痛なそして息も絶え絶えな、しかし闘志溢れる声がテレビでエールを送るボクらにも確かに届いた、いや聞こえた気がした。当然のように、スタジアムはスタンディングオベーション。彼女は約6分をかけてスタジアムを1周します。ボクも号泣していたと思います。たぶん世界中が感動の涙で視界は滲んでいたに決まっています。それほど感動的なゴールシーンでした。スタジアムでエールをおくる人もテレビで彼女を見守る人々も、誰もがゴールさせてあげたいと祈っていたにちがいありません! 見守る医師も、まだ汗をかいているから大丈夫と判断、競技続行を指示します。彼女は競技スタッフと医師、そして大勢の取材陣を引き連れ(?)トラックを1周。そして、ゴール前ラスト100mの直線。これが凄かった! フラフラを通り越してグラッグラ。両手をダラリと垂らし、もはやまっすぐにすら歩けません。それでも一歩また一歩ゴールへ向かいます。意識も朦朧としていたでしょう。それでもゴールへと向かっているのは、もはやアスリートの本能としか言葉が見つかりません。いやぁ凄かった凄かった。未だあれほど感動的なゴールシーンを見たことはありません。そして、このシーンを思い出すたびに、度肝を抜かれたロケットマンの飛行よりも、あの大会のどの演出よりも、アンデルセン選手のゴールシーンには敵わなかったな、と思えるのです。そこにこそ、正しい(?)オリンピックの“威力(意義)”があるのやも…… ですです。

そして第三の神話、それが初めて取材&観戦をしたシドニーオリンピックの開会式でのことです。
半世紀ぶりに南半球で開催されるオリンピックとあって開催国オーストラリアは力が入ってました。13歳の少女(フェアリーテール)によって語られるオーストラリア誕生の歴史を、壮大なスケールで展開する一大絵巻のエンターテイメントショーにしたセレモニーが始まりました。いやぁ驚いた驚いた。コンサートなどの演出を手がけているボクが目をシロクロ。度肝を抜かれるような演出が次から次へと飛び出します。
そして参加国選手団の入場が始まって数分が経った頃、入場国の頭文字がKとなってしばらくすると入場口付近で大きな歓声が上がります。ボクらは、この時スタジアムの最上段近く聖火台付近に陣取っていたため、入場口付近も大型モニターも150m以上離れていてよく見えません。いったい何が起こっているんだろう? とキョロキョロしておりますと、今度は入場口側から観客が次々に立ち上がりスタンディングオベーションを送っているんです。訳も分からないでいたのですが、前に座っていたデンマークのテレビスタッフに促されボクらも立ち上がります。次の瞬間入場口に目をやったボクは全身に鳥肌が立ち目頭が熱くなったことを忘れません。
この年、南北首脳会議が開催されたばかりの北朝鮮と韓国が統一旗を掲げ合同入場してきたのです。スタジアムのスタンディングオベーションはこれだったのです。この入場に送られた歓声は、シドニーオリンピック開催中に体感した歓声の中で最も大きなものでした。最も感動的だったのです。
この溢れんばかりの感動の中にこそ、真のオリンンピアスピリットがあるんじゃないでしょうか! 難しくは言いません。“復興の向こう”にこそ“真の熱狂”が待っているんだと信じています。そのためにボクらができること、しっかりやっていきたいですね。

とはいえ、ボクは生きていくだけで今のところ手一杯なものですから…… リハビリをさらにパワーアップさせ、復興をこの目で見届ける意味でも被災地を尋ねられるようにならなくてはと思っています。次に、東京2020オリンピック・パラリンピックをこの目に焼き付けるため、競技会場へ出掛けられるようにしたいと切に思っているんです! さ~て、頑張らねば!

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