COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.43 『飛んでる飛んでる飛んでる、スゲェーッ!!』 

2017-05-19

さてさて前回お約束した栄えある第一位の発表です。

◎第1位:大空に浮いた日 1986年 9月某日
どういうわけかボクはテレビに出ていました。しかも生放送の全国ネット情報バラエティーです。その始まりはよ~く覚えてます。雑誌『POPEYE』に籍を置いている頃です。「お~いGOOFY、ちょっと」と編集長に呼ばれ「あのさぁ、TBSの『アッコにおまかせ !』って番組が、うちと組んで情報コーナーをやりたいって言ってんだけど、おまえに任せたよ。ヨロシクな」ということでボクは毎週日曜日 テレビに登場することになったのです。ネタは、新しいモノ、コトをポパイからの蔵出し情報で紹介するというコーナーです。

はっきり言ってテレビはどうにも苦手でした。FMをはじめラジオは何度も経験していましたが、生放送のテレビ番組にボクが登場とは…しかも芸能界最強女子(?)の和田アキ子さんが司会を務める人気番組です。ハードル高いです。
とにかくボクのコーナーができ、毎週日曜の朝早くに、TBSからハイヤーが配車されてTBS通いが始まります。なんとも勘違いしそうな半年間でした。

なにが苦手かって、ラジオは自分の“間”でゆったり話すことができます。に対してテレビは5秒、長くて10秒でキャッチーに話をまとめなくてはいけません。そしてその中にテレビ特有の予定調和が存在します。これがどうも苦手でねぇ。しかも話す相手がアッコさん、で、全国ネットの生放送。どう考えたってプレッシャーが高まるに決まってます。今考えるとよくやってました、いろんな意味でね。
“勘違いしそうな半年間”、この説明は難しいですねぇ。どこからしましょうか、うん、まずはわかりやすくボクの郷里の話から…小さな町ですから、我が町の食堂の長男坊がテレビに出るんです。しかもあの和田アキ子さんの人気番組です。そりゃぁ大変な事件です。わが町の有名人、著名人扱いです。なわけはないのですが、ボク本人も含め様々なところで様々な勘違いが勃発しました。苦い笑えない思い出が山ほどあります。
東京でもそうでした。本番前にはゲスト陣が挨拶に来てくれます(なんたって準レギュラーですから…)。それもかなり有名な方々がです。なんたってアッコさんの冠番組ですから。まったくもってスゴイ威力があるんです。ボクもボクの周囲も、その想像を超えた威力に当時は浮き足立っていたんでしょうかね。ま、今考えると仕方ないかぁ~。

おっと~、話が大きくズレてます。第1位の発表でした。
『アッコにおまかせ!』のボクが担当する情報コーナーは、当初から半年間で選手交代の予定でした。どうにかこうにか勤め上げた情報コーナーの最終日を2週間後に控えた日曜日の本番終了後、番組担当ディレクターが「Goofyさん、オンエア最後のコーナーはGoofyさんの好きなネタでいいですよ」とご褒美発言。ボクは当時最も気になっていた、こんなネタを振ってみました。「スカイダイビングのライセンススクールが人気らしいんだ。そこでスクールをリポートしてライセンスを取得するっていうのはどう?」言ってみるもんです。即決定 !  
まずは原宿にあるスクールで基本講習を受講。パラシュートのたたみ方などの様々な基本を学びます。スカイダイビングでは自分のパラシュートは自分でたたむことになっているんです。そして、パラシュートが機能不全(MULFUNCTION)を起こした際にどう対処するか、その方法は? などなど。自己責任(ONLY YOUR RISK)という考え方が全ての基本形で構成されていること、などを学ぶんです。受講しながら、まさかスカイダイビングのスクールが原宿にあるとは思ってもなかったので、イヤイヤびっくりでした。そして基本講習ののち晴れて桶川飛行場でいよいよファーストジャンプという運びなのです。講習を受けたのはタンデムなんかじゃありません。単独ジャンプです。こんなに真剣に授業を受けたのはいつ以来でしょう。テレビも入ってますしね、すこぶる新鮮で緊張の1日でした。

基本講習を受けて3日後、ボクは桶川飛行場でパラシュートをたたんでました。そうです本番当日です。その日、初ジャンプをするメンバーは4人、ボクは2番目です。この日桶川に着いて初めて聞かされるビックリなことがありました。「練習に通常使用している大型セスナ機が修理中なので、今日は2人1組で小型のセスナ機で飛んでもらいます」「エーッ!」「それで小型セスナの場合、一旦右側の主翼側に出て、しっかり主翼のステーに捕まりステップと車輪に足を置いて一呼吸して飛び出してください。アッ、右扉は外してありますから気をつけてくださいね」「エーッ!! そんなの聞いてないよーッ。一旦右側の主翼に出てって、飛んでるセスナの外に出るんですか!?」

とうとう本番です。しっかりカメラも回ってます。もう後戻りは許されません。飛ぶよりないのです。飛ぶしかないのです。説明通り右扉が外されたセスナに乗り込む前、音声スタッフがピンマイクを付けに来て「アッコさんに話しかけてください。1人喋りですが、アッコさんと会話してる感じが出るといいですね。じゃ、楽しんで !」「・・・」
右ドアの外されたセスナはどんどん上昇、桶川飛行場がグングン小さくなります。
「は~い森さんから外に出て」「は、はい」
ドアが外してありますから、セスナ内部はすんごい勢いで風が吹き込んで轟音が響き、否が応にも緊張感が高まります。さぁ~Goofy飛びますッ!! 機外に出ると、ビックリするほどの風圧、そして唖然とする高さ。高度2000m、バンジージャンンプでもせいぜい100mですから、ざっと20倍の高さ。それでも1stジャンプはかなり低めの設定なのです。しかし充分高く、まさに未知の高さ、そして眺望。慎重に左足をステップに、両手で主翼のステーをつかんで右足をタイヤに、、、なんということでしょう、右足を前輪タイヤに掛けた途端にタイヤがクルッと回ります。危うく落ちそうになり「エーッ!! 聞いてないよーッ! タイヤが回る。タイヤが」と叫ぶのですが、ここは機外のステップの上、みんなに聞こえるわけがありません。ボクの恐怖に慄く形相に、「ガンバッテー」と明るく手を振ってます!?「じゃなくてーッ!!」と叫ぶも機内ではニコニコ笑ってます(テレビカメラ回ってますから)。

気を取り直し何度か足をタイヤに置くことを試みますと、パイロットが気付いたようで、タイヤがロックされ右足は見事タイヤの上に。と、機内の教官が「Go!!」のサイン。「ヨッシャーッ!!」とGoofy飛び出します。「アレ~ッ」とムンクの『叫び』のような形相で落ちるんじゃなく、下から猛烈な風を受けて宙に浮いてるような感じで、意外や快適です!?
まさに浮いてます。「ヤッターッ!! スゲェーッ!!」「飛んでる飛んでる飛んでる、スゲェー!!」「うわぁ~東京だ。スゲェーッ!!」「アッ、忘れてた」とボクは「1thousand 2thousands 3thousands・・・」と英語で数を数え出します。これは原宿の講習で教わっていたことで、ゆっくり英語で5000を数えてからパラシュートを開くんです。これ、要するに初級ジャンパーが心の余裕を持つためのおまじないのような儀式になってます。
パラシュートは無事開き、ボクはパラシュートのブレーキを教わった通り操り下ります(ブレーキを引いた方向へパラシュートは旋回し、両方引くと速度が落ちます。少年のとき飛ばした紙飛行機の翼の原理と基本同じです)。

降りてきました、ぐんぐん降りてきました。初ダイビングは大成功、しかし最後の最後が肝心と講習で教わりました。事実スカイダイビングの事故は、着地前の数秒間に集中してるのだとか。降りてくる数秒前に事の真意を理解しました。なにせ高~いところから降りてくるんです。地上30mくらいで、地面に足がぶつかるんじゃないかって思うんですよ。まぁ錯覚なんですけれどね、これで失敗しちゃうんでしょうね。ブレーキを早く強く掛け過ぎて失速、そして墜落。ここは落ち着いて。落ち着いて。

桶川飛行場に記してある着地ポイントが大きく見えてきました。着地は優秀でした。目標ポイントからの誤差2mです。なんと優秀な事でしょう「アッ、しまった~!!」と気付いたのは、着地目標ポイントに駆け寄ってくる『アッコにおまかせ!』の音声スタッフさんを確認できた時でした。そうです。アッコさんに何も話しかけていません。「スゲェーッ!!」としか叫んでいません。どうしましょう!?「お前なぁ、何してんねん。スゲェーを録るために空飛んだんかい。アホちゃうか!!」って聞こえてきそうです。最高の興奮は最悪の結末に!? これを『初ダイブ記念日』とさせていただきます。

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