COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.2 「入り口は大いなる勘違い!?」 

2013-08-01

さてSingle Speaker Vol.2は、それは恥ずかしいまでの勘違いがボクを音楽の世界へ誘ったというお話。
この秋 かのポール・マッカートニーが11年ぶりの来日公演を果たします。チケットは発売前にして既にプラチナ化、その争奪戦の凄まじい状況が巷を賑わせています。ビートルズフリークを名乗るボクとしては何が何でも出掛けたいのですが、まだ目と耳がドームの爆音と眩しいばかりのライティングについて行けそうにないので友人達のリポートを心待ちにすることとします。
さて、なぜゆえボクがビートルズフリークとなったのか。はじまりは小学6年生の時でした。アメリカの音楽コメディドラマ『ザ・モンキーズ』の放映が日本でも始まりました。その頃のテレビドラマといえば大半がアメリカのヒット作、そんな中でも『ザ・モンキーズ』は強烈なインパクトを持ってボクたち子供に衝撃を与えました。30分間繰り広げられるドタバタコメディ、抱腹絶倒なストーリーを牽引するのは4人のロックバンド。歌謡曲しか知らない当時のボクにとってロックという見知らぬ音楽は強力なアッパーカット、一撃でノックアウトされてしまいました。そのドラマのテーマ曲として流れる『The Monkees』や『Daydream Believer』(今 毎日のようにコンビニのCMで清志郎さんのカバーが流れてきます)が、朝から晩まで四六時中頭の中でループ状態。英語の歌詞もデタラメに、でも朝から晩まで鼻歌状態。1968年には全国でこのドラマが空前の大ヒット。中学生になったボクは意を決してレコードを借りようと町で洋楽通と呼ばれる高校生のお兄さんのところへ。するとモンキーズのレコードは超人気ゆえすでに他の人に借りられていました。そこでお兄さんが「代わりにこれ貸してやるよ」と渡してくれたのが、67年に発売されたビートルズのコンピレーションアルバム『OLDIED』でした。ボクにとって初めての洋楽アルバムは全てがビックリもの。ジャケットからして凄い。歌手のポートレートにタイトルという歌謡曲の在り方しか知らないボクにとって、サイケデリックカラーのイラストレーションのジャケットに半透明の赤いレコードは強烈な一撃でした。「意外にかっこいいじゃん、モンキーズのマネだけどね!」この恐ろしい勘違いのまま翌日学校に。そして「ザ・ビートルズっていう英国のバンドはモンキーズのモノマネなんだけど、このサウンドがなかなかスゲェんだぜ!」とクラス中にそれはドヤ顔で触れ回ったのです。恥ずかしい…。
その年の秋でした。テレビの洋画劇場で『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の放映があり、ボクはビックリ青ざめてしまいました。スピード感と言いコミカルな展開と言い、4人組のロックバンドが繰り広げるドラマと言い、何から何までビートルズはモンキーズにそっくり!? ところがなんとこの映画、64年に公開されたビッグヒット作。モンキーズの本家本元こそがビートルズだったという、こりゃまたお恥ずかしい真実!? 穴があったら入りたいとはこのことです。
ここで少しばかり当時のボクの音楽環境をフォローしておく必要があると思います。ボクの生まれは京都の北部、日本海側の田舎町。そんなボクの田舎ときたら世の中の流行から10年は遅れていて66年のビートルズ来日時の日本中の大騒ぎなど届くはずもなく、世界中を席捲しているビートルズの存在など知る由もありませんでした。ちなみに当時若者の間で大流行の深夜ラジオ放送をなんとか聴きたくて一生懸命チューニングをするも、朝鮮やロシアの放送の方が感度良好(笑)。そんな状態だったからこその大きな勘違い。
ただその勘違いが大きければ大きいほどビートルズに魅せられていったのは事実。そして音楽をもっともっと探求しなければと、それは一生懸命だったように思います。現在ではネットはあるしテレビですら世界中のカルチャーを日々紹介してくれています。だからボクらの若い頃のような恥ずかしい勘違いといったものはあまりないんじゃないでしょうか。ただここでお説教臭く言うつもりはないのですが、大きな勘違いをバネに大きな探究心が生まれたのも事実じゃないかと今思っています。
さて、次はビートルズ事件から更に音楽覚醒したボクの大学時代を振り返ってみようと思っています。

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