COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.48 『やっぱハンバーガー!!』 

2017-11-17

●先日Facebookにも書いたのだが、ついにAIモノが大手家電メーカーから一般販売が開始された。と思ったら追いかけるようにGoogleからも…さらにAIモノ続々です。そんな時代になったんだねぇ~。気づくと大好きなSF映画『2001年宇宙の旅』を大きく通り越してしまってる。もうじき『ブレードランナー』の時代設定2019年が東京オリンピック前にやってくる。いやいやいやちょっと驚きです。まさか自分が(現実が)大好きだったSF映画の世界を追い越してしまうとは…。
さて、現代はSFの想像通りの世界となっているんだろうか? 

●1964年10月:東京オリンピック
ボクが小学校に上がった翌年、スポーツの世界的ビッグイベントがアジアで初めて開催された。東京オリンピックだ。いやぁ大騒ぎでしたよ日本中。高速道路はできるは新幹線は通るは、これに大人たちは大興奮でした。「100kmなんてスピードで運転できるかなぁ?」とか、「200kmなんて景色が見えるんだろうか?」なんて今となってはちょっとピンボケな話題が大人たちの間で日夜続いておりました。時にむきになって口論する勢いでしたからねぇ。しかしあの時代、とんでもないことが起こっていると騒いでいたオッチャンたちも、数年後には高速道路でスピード違反で捕まり、新幹線に乗って、ちょっと恥ずかしいくらいの高イビキで寝ているんですけどね!? そんな中ボクら子供が大きく湧いたのが、やっぱりカラーテレビ放送の始まりでした。もちろん、放送はまだまだ限られた番組だけ(オリンピックやニュース番組がメイン)のスタートでしたが、朝になると新聞のテレビ欄を誰よりも早く見ることがボクの日課でした。カラー放送の番組チェックです。この頃、子供ながらに日々高度経済成長を体感できていたんじゃないかと思ってます。しかし、近未来というワードが日常の中に登場することは、あまりなかったように記憶してます。これまで経験のない時の早さの“今”を生きることで、みんないっぱいいっぱいだったんじゃないかな、きっと。

●1969年:アポロ11号 月面着陸
これはもうすごかった。学校で担任の先生が「今日はうちで宇宙中継を見ましょう。ホームルームは各自うちに帰ってしっかりテレビを見ましょう」って学校が半ドン(午後からお休みってことです)になったぐらいですから…。ボクはこの時中学生でした。中学校が半ドンですよ~。64年の東京オリンピックですらそんなことはなかったですから、いかに全地球レベルのビッグイベントだったかがわかるというものです。
月面からの中継は、家族がこんなにも一つになるんだというくらい不思議な一体感と緊張感でテレビに釘付けでした。「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ!!」あのニール・アームストロング船長の名言は、同時通訳の言葉ですら涙が出たことを覚えています。しかもです。振り向くとテレビを見つめる全ての目が真っ赤だったことを忘れません!? 当然の話ですが、翌日の学校内の話題は“月面着陸”一色でした。「見た、見たッ!?」もう学校中がこの嵐、そして「あれさ、月に降りたらソビエト(冷戦時代ですからね~)の基地があったらしいよ?」とか「あれは、テレビのスタジオに組まれたセットらしいよ」とかとか、「見たんかい!? 行ったんかい!? 確かめたんかい!?」的な突っ込みを入れたくなるような発言が至る所で勃発していたような…。SFの世界が突如現実味を持って語られ、田舎町でさえも盛り上がった、人類総妄想時代(?)へ突入のビッグイベントでした!! いやぁ凄かった、凄かった。

●1970年EXPO’70 大阪万博
アポロ11号 月面着陸は人類の大きな一歩でしたが、EXPO’70はボクにとっては偉大な飛躍となったビッグイベントです!? 
アジア初の万国博覧会は、開催が大阪であったため、日本海沿いの田舎町とはいえいちおう関西ですから(4時間以上かかりますが)、激しく言うと隣町で開催される大きな祭り的な気分がどこかにありました!? 「春休みの自由研究にするんだ!」とかなんとか親たちには上手いこと言って、中学の同級生3人で“大阪万博自由研究 2泊3日の旅”を企画、珍道中の始まり始まりとなったのです。

まずはゲートを抜けたところからボクらのカルチャーショックはMAX状態です。

なんてったって右も左も人人人、人の洪水です。毎日30万人を超える人が訪れていたんですからね。日本海沿いに点在するいくつかの町々を合わせてやっとこさ2万人に満たない田舎町から出てきた少年3人組ですから、そりゃぁもうテンパってるわけです。こんな人の洪水なんか見たことないんですからね。
キョロキョロしながら歩いていた友達が外国の方に軽く接触、と、「Oh~,Sorry!! Are you OK?」なんて言われようものなら、田舎者は突如崩壊です。ヘラヘラしながら唯一知ってる精一杯の英語で「あぁ~Thank you very much !」ってなんか噛み合ってないですが、友達が当たった髭面のオジさんはニコニコ笑って彼の頭をなでてくれたんです。これもう大事件です。「やったぁ!! 通じた。外人と話せた!!」田舎少年3人組は、パニックもパニック。パニクることこそが、『人類の進歩と調和』だったのです!? あの頃の田舎者3羽烏にとってはね。だって3人とも外国人と会話したのはこの時が生まれて初めてのことですから。インバウンドなんて言葉はまだ日本には存在していなかった時代のことですからね。3人の心中(バクバク)をお察しくださいませ。

3人の中の一番人気は、やはりアメリカ館とソビエト館(時代ですね~)でした。入場直後のサプライズに少々時間を取られたものの、その後3人組はまっしぐらに2つのパビリオンを目指します。人の洪水に酔いながらこの2つの人気パビリオンに行き着きますと、またまた3人はビックリです。アメリカ館が6時間待ち、ソビエト館が5時間待ち、というおよそ聞いたことのない待ち時間なのです。これじゃぁ2つのパビリオンで我がツアーが終わってしまいます。そこでボクらは1日目はとにかく人が並んでない、入場がスムーズなパビリオンから周り、翌日に2大人気パビリオンに挑戦するという作戦を立て、ものすごい勢いで会場をグルングルン。なぜそうなっていったかというと、それは入場の記念スタンプをゲットするためのグルングルンだったのです。各パビリオンの記念スタンプが、子供の間で大ブレークでした。公式のスタンプブックも発売され、なにより子供達の間ではこのスタンプラリー(?)が大ブレーク。当然3人組も、ペッタンペッタン、押すは押すはで会場を北へ南へ東へ西へグルングルンでペッタンペッタン。たぶん我が国の記念スタンプラリーの最初のブームもこの万博からでしょうね? たぶん。ですから万博へ行ったことよりもスタンプをいくつ押せたかが、我ら子供にとっての自慢だったりしたのです。

だから3人組も必死です。丹後代表派遣団(!?)として1つでも多くのスタンプを押さなければと猛チャージです。パビリオンに入るや否やスタンプの所へ直行です。スタンプを押すとすぐさま次のパビリオンへ走る走る。このときボクらの『人類の進歩と調和』はとにかく走ることだったようです!? 展示なんかろくに見ちゃいません。何が目的なんだか…今思うと随分もったいないことをしていたなと遠い昔を振り返って思いますが、あの頃は会場を走り回っているだけでいっぱいいっぱいだったのです。そして人の洪水に酔うことに大興奮できていたのです。そして世界にはこんなにもたくさんの国があるんだと実感したんです。スタンプがたくさんたまりましたからね(!?)。念願の月の石も、意外に(失礼)かっこよかったソビエトのソユーズ宇宙船も、SANYOパビリオンの自動人間洗濯機も、電々公社(現NTT)パビリオンの無線電話機(現在の携帯電話のプロトタイプ)も、動く歩道も、もう見るもの聞くもの全てが驚愕ものばかりでしたが、なによりボクの心に刺さったのは、アメリカ館のそばで生まれて初めて食した『ハンバーガー』というアメリカの食べ物。もう完全にノックアウトされたのでした。「こんなうまい食べ物がアメリカにはあるんだ。やっぱアメリカスゲーッ!!」ってなったんです。そして最初にバーガーを食べたとき、『ルートビア』なる未知なる飲み物に人生初遭遇しまして、当然初体験を試みます。これまたショッキングでした。コーラに限りなく近い飲み物に見えたのですが、一口飲んで「ゲェーッ! なんだこりゃ!?」その独特の味に「なんか薬っぽい!?」で、よくわかりませんが「こんなもの飲むアメリカ人はやっぱスゲーッ!!」ってなったんです!? このハンバーガー&ルートビアショックは、さんざん会場を駆け回って見てきたもの、そう『月の石』をもブチ抜いて、“Best of Expo’70”となったのでした!? なんたって2泊3日、3回の会場入りで5回もバーガーを食べ「エーッ、ダメだこりゃぁ」ってあれほど言っていた『ルートビア』も結局3度もチャレンジしたのであります。やはり“Best of Expo’70”なのです。

日本海沿いの田舎町から出てきた13歳の少年にとって『人類の進歩と調和』の万国博覧会は、過去に経験のないインパクトをもって脳裏に叩き込まれたのです。広い会場を駆け回って記念スタンプを集めたあの興奮は、四半世紀経って面白いもの・ことを集めて世界中を飛び回わるエディターとなって現実になったのです。あのExpo’70で植えた種が花開いたという事でしょうか。あっそうそう、ハンバーガー今でも大好物です!!

※この極私的バイオグラフィーは次回に続きます… 乞うご期待。