COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.50 『極私的プロファイルVol.2』 

2018-02-16

新年は北陸地方の豪雪の便りからの始まりとなりました。昭和38年のサンパチ豪雪(山陰地方を襲った豪雪)を経験している身としては豪雪の脅威はよ~く理解しているつもりです。大変ですね、頑張ってください!

極私的プロファイルは大学生からのスタートでしたよね。
子供でもない、だからと言って決して大人とは言えない不可思議な存在、それが“学生”と呼ばれる特別なポジションだとボクは思っているんです。世間から自由であることが絶対的に約束されたポジションなんですよね学生って。その学生でいられる間に何をどのように経験できたのか、それこそが人生を大きく左右するものになるんじゃないかと、自分が学生であった4年間を振り返って今そう思ってます。

アメリカ横断ヒッチハイクの旅は以前にお話ししましたから、今回はバイクのロードレース参戦から始めましょうか。

7000キロに渡るアメリカ横断ヒッチハイクの旅から帰国したボクは、大学生活に専念するべく芸大のキャンパスへ。久しぶりのキャンパスをぶらりしておりますと、工芸学科のアトリエ前になんとも良さげなバイクが停まってます。KAWASAKIのZ2、かなり手が入っていて、セパハン(セパレートハンドル)にいい色に焼けたエキパイ(エキゾーストパイプ)の集合管マフラー、ブレーキは前後ブレンボ(イタリアのブレーキブランド)を装備しています。前後のサスもなかなかですし、何より全てがビッカビカときてる!! こりゃすげえやとじっくり眺めていると、「どしたぁ!?」と低い声、「な、なんかやばそう??」と恐る恐る振り返ると、なんかではなく、間違いなくヤバそうなカーキのMA-1を着てフライのブーツ(米国のブーツの老舗ブランド)を履いた兄ちゃんがボクを睨んでます!! 「いやぁ~いい色に焼けてますねぇこのエキパイ!!」と嫌な汗がじんわり滲んでくる中で苦し紛れの一声。それで少し冷静になれたんで、よ~く見てみると、カラダはデカくてかなりのマッチョ、しかも髭ズラ、7年生とか8年生っていうかなりのいかつさ、腕っ節は強そうだ!? こりゃまずいことになりますかぁ?? と身構えてると「乗ってみる?」と言ってキーを投げてくれる、ここでカッコよくキーをキャッチしてニヤッと笑うと、まるで映画のワンシーンのようなのだが、恐怖の妄想でガチガチのボクは、キーを落としてしまいます。「なんだよぅ、だっせ~な、乗れるのかよ!?」「だ、大丈夫です、大丈夫です。ボクもペケエス(YAMAHA650XS)乗ってますから」ま、この一言で兄さんは安堵してくれたようで、兄さんのメットまで貸してくれ「5分10分回ってきなよ」と驚きの展開。信用されたことがすこぶる嬉しくて、なんかカッコ良く返さなきゃとZ2でド派手にウイリースタート。はいはい、よくできましたという出会いになりました。

またいでみると(走らせてみると)これまたスゴイ!! ハンドルといいバックステップされたペダル位置といいボクのカラダにどんピシャです。ボクのためにセッティングされたと言っても過言じゃない在り方。しかも驚きはエンジンの吹け上がりです。どのギアに入れてもアッという間にレッドゾーンに飛び込んじゃいます。「スゲェ、スゲェぞ」を連発しながら約15分、久々に心踊ったライディングでした。「お前かなり回したな? いい匂いさせてんな。ったく」とまたもやヤバそうな低い声。ヤバイ、ピンチ!? そうです。エンジンを回し過ぎてエンジンオイルが焦げてる匂いが鼻をつくんです。飛ばしたのはバレバレです。「いいっすねぇ、このバイク」「だろ!!」今思い出しても出来過ぎな出会いです。以来彼との付き合いは5年続きます。彼6年生で6つも年上でしたけどね。なんか気があったんですよ、本当に。
彼の出身は石川県の金沢で、彫金をやるアーティストです。で、バイク好き。この日彼が♫カンカン彫金をやってる間中夕方まで郷里のことやらもちろんバイクの話なんかでなんと4時間近くもアトリエ(作業場ってみんな呼んでたかも)にいたんです。で、帰り際彼が「来週末空いてる?」聞くと彼はバイクのレーシングチームに所属していて、来週末鈴鹿サーキットで練習走行があるから、遊びに来ないかという、夢のような話です。サーキット、一度は走ってみたかったんです。それが鈴鹿サーキットで叶うやもしれないんですよ。今的にいうと、“ヤバイ”でしょう、これって!!
土曜日はあっという間にやって来ました。
事件はやっぱり起こります。「森ッ!!、ちょっと走ってみるか!?」そうです、そうです。この言葉を待ってたんです。喜び過ぎで緊張し過ぎ、もうどこをどう走ったのかまるで記憶がない鈴鹿サーキット初ランの4周でした。

最初は乗り慣れない2サイクルエンジンに悪戦苦闘したんですが、2周めのヘアピンコーナーを抜けるあたりから、フルスロットルをくれてやることができるようになり始めます。ハングオンやスリックタイヤなんてポピュラーじゃなかった時代ですから随分野暮ったい走りだったでしょうが、約束の4周目にピットに戻ると、チームのみんながボクを囲みます。「お前、はえ~なぁ。うちのノービス(入門クラス)の連中よりいいタイム出てるぞ!!、今日が初めてだろ!?」「はぁ??」と不思議そうな顔をしてはみましたが、内心は「えへん、どうでぇい!!」と鼻高々であったことはいうまでもありません。で、話はトントン拍子に進み、大阪羽曳野市に拠点を置くレーシングチームの所属ライダーへと…。とにかく誰よりも早く走る、昔からそのことにある意味命かけて走って来てましたから(?)、なにかすごく報われたというか、不思議な達成感にも似た満足感のようなものがあったのは事実です。
年間約10戦ほど全国のサーキットを転戦する日々が3年続きました。成績はまずまず、ですがレース中にちょっとムキになるところがあって、肝心のところでスロットルを開けすぎで転倒リタイアってのがボクのパターンだなんて言われだした頃のある日、ぼくは決心したのです。確か菅生サーキット(仙台)で行われたヤマハ監修の合同走行会の時だったと思います。ロードレースの世界は十分楽しいんです。そしてまだまだ納得のいく走りができているわけじゃないんです。ですがなにかこううまく噛み合わないんです。うまく表現できないんですが、サーキットはボクのフィールドじゃないと直感してしまったんです。レースの世界を見切ったわけではありません。でも逃げに入ったと思われるのは心外なので今ここで伝えておきます。ロードレースにぞっこんは、贅沢言わせてもらうなら、畑違いな土地を一生懸命耕していたってことでしょうか!? そう感じだすとなかなかモチベーションが上がらなくなってしまって…。クソ生意気な負けん気と無鉄砲な勢いだけではてっぺんを取れないと自覚。で、相変わらずちょっとずるいんですが、即引退してしまうんですよ。

サーキットからキャンパスへ戻るとキャンパスは大変なことになっていました。芸大の軽音学部に籍を置いていたバンドが、ヤマハのポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)でグランプリを受賞し国際歌謡祭に出場するってもう大騒ぎ。でもってこのバンド、なんと同級生組、しかもギターは同じ学生マンション出身ときている。そう一斉を風靡したバンド“ツイスト”だ。このバンドの出現はある意味でボクの人生を大きく変えたとも言えます。
残念ながらボクがツイストに参加したというフェイクニュースのような話ではありません。芸大入学当時、その挫折感から封印していた音楽への憧れが沸騰しだしたのです。そんなですから4回生(関西はこう表記します)は、サーキットを走って回って遠回りしていた分を穴埋めすべく勉学と楽曲作りに邁進したのです。
あらあらもうこんな長さ、この後の自身の音楽活動と調理師学校進学(?)を次回の極私的プロファイルVol.3でお送りします。よろしくどうぞ!!

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