COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.51 『極私的プロファイルVol.3』 

2018-03-26

大学生活は、今思い出しても、とてつもなく有意義でスリリングでエキサイティングな4年間でした。田舎にくすぶってたんじゃ到底経験できなかっただろう時間がそれはたくさん流れたように感じています。まさに若さの洪水でした !!
アメリカ横断の旅、サーキットを巡ったロードレース参戦の旅、ライブハウスを巡った音楽の旅などなど、それはたくさんの場所へ出掛け、たくさんの人と出会った。その多くの出会いこそが大学4年間最大の宝だとボクは思ってます。自分1人では抱えきれないほどの経験のあれこれ、なんかうまく言えないんですが、“デカク”なれたような、そんな気が当時はしていました。

学生生活もあと少しという時期、「で、これからどうする俺?」という局面はあっという間に訪れます。そうです、卒業です。「どうしよう? 何も決まってない、いや考えてもいなかった!? そうだ! また学校へ行こう」これがボクが考えついた、困りまくったあげくの秘策でした。まだまだ、大人(社会人)でもない、子供でもない、学生という特別な存在でいたい。もっともっといろんな体験がしたい。だが待てよ、芸大にこれ以上いてもダメな気がする。こりゃ新天地へ行って環境を変えなきゃな。とするともう一度別の大学を目指すというのはあまりに虫のいいやり方だし、ここはひとつ、実家を喜ばせるためにも調理師学校に入るっていうのはどうだろう? それなら実家は納得してくれるだろうし、ボクも料理に興味がある。後々何かと潰しも効くしね…。で、事はトントン拍子に進み、春には無事 京都調理師専修学校へ進学(?)となります。
京都は一度は暮らしてみたい街でした。なかでも嵐山は最も住みたい場所のひとつです。よしよし、憧れの地に22度目の新しい春がやってきました。なかなかです。

調理師学校は三条烏丸、そうどす京都のど真ん中どす(アレレッ!?)。そして暮らすは嵐山。出来過ぎです。再出発には上出来過ぎです。こんなにうまく事が運んだことはそうはありません。きっと何か大きな落とし穴がこの先待ち受けているんじゃなかろうか!? と、なんともヒヤヒヤでどこか全てが信用できないでいた新天地 京都の好発信でした。

ボクの不安な予感は結構高確率で当たるんですが、今回はなんとも嬉しい大外れ、4月アタマには調理師学校の門を無事叩きます。
いやいや、全てが新鮮でした。学校は、日本料理コースが2クラス、洋食コースが2クラスで4クラス計200名。内訳は、半分が高卒組、残り半分の1/3が中卒組、1/3が中卒で就職先の料亭等からライセンス取得のため通学させてもらっているすでに板前の卵たち、残りは脱サラ組+その他。で、御察しの通りボクはその他で、4年大卒業組はボク一人、いやいやいや想像になかった世界が始まろうとしています。未体験ゾーン突入です。そうそう、クラスの担任の先生が当然いましてね、それがなんと同い年!? 入学前に感じていた “嫌な予感…”が当たりました。そんなこんなで未体験ゾーン投入です…。

【クラス唯一の大卒のあだ名は“おっちゃん” !? 】
入学式はごくごく一般的なセレモニーでした。ボクはどこか他人事のように入学式に臨みます。周囲に目をやっておりますと、キョロキョロそわそわしている周囲の若者たち(?)、みんなそれなりに緊張してます。そりゃそうだなと思いながら、どこか冷めているボクがいたことは確かです。それは教室に戻ってからも拍車がかかります。教室では自己紹介が始まりました。まぁ~聞いていると、みんな可愛いこと可愛いこと、若いこと若いこと、気の良さそうなヤツらばかりです。しかし、これじゃいくらなんでも高みの見物すぎやしませんか? 1人シラけたよそ者を気取っているのもあまりカッコイイこっちゃないし、ここは素直に参加しましょ、と腹を決めた直後、斜め後ろから「おっちゃん、どこから来たん?」と声かけられます。最初わかりませんでした。だっておっちゃんと呼ばれたのは生まれて初めてです。「俺のこと!?」「そりゃそうや、おっちゃんやて! 他に誰がおるの!」とコテコテの京都弁。突如登場した彼こそ調理師学校でその後盟友となる男なのです!? 歳は2つ下でバーテンダー上がり、宇治の割烹料亭の御曹司。いかにもバーテンダーというビシっと決めた(固めた)髪型に3ピースの細めのスーツ姿。昔はかなり悪かったろうって男です。「おっちゃん、終わったらメシ行かへん?」不思議にもう何十年も前から知り合いかのような調子の振りにボクも「ええよ…」と返します。(京都府の日本海沿いとはいえ、ボクも立派な京都府出身ですから、宇治出身者は同志です、京都府出身者として…!?)

この男、何者なんでしょう。一緒にラーメン店に入ってからがいやものすごかった。その話しっぷり(自己紹介)ときたらまさに機関銃。しかも、ここに入学してまだたった3時間ほどだというのに驚くほどの情報量。担任は、この学校一の穏健派とされる○○先生だとか、一番後ろの席で踏ん反り返って座っているヤツが、亀岡(京都の北隣り)の公立高校で番はってた〇〇ゆう京都でもちょい有名なヤツやねんとかとか、ほんまよう知ってます(!?)。散々喋り捲ると「おっちゃん、玉つけんの? 学校の裏手にな有名な玉突き屋があんねん。行けへん?」「ビリヤードは好きだよ…」「ほな行こ行こッ!!」※ここからは標準語で…
狭い入り口を入ると、どこか大正レトロな雰囲気のあるちょっと良さげな雰囲気の大人の遊び場が広がります。壁には皇太子(現昭和天皇)がこの店でビリヤードをやってる写真が…、なるほど歴史ありそうです。ローテーションの卓(台)が8台に4つ玉の台が1台、店内は意外に広い。入口には風呂屋の番台のようなスペースにおかみさんらしき女性が座って店をみてます。「おばちゃん、空いてる?」なんじゃコイツ常連なのか? なんかわけわからないがこいつスゲェな、と感心していると。「ここで打ってみたかったんや。おっちゃん絶対玉つく思ったんや」なんじゃ初めてか。コイツほんと不思議なヤツです。万事このテンポで進行して行きます。彼は三条烏丸(からすま/学校のすぐ近くです)にあるバーで働いていたらしいのですが、なんか違うと感じバーを辞め調理師学校でライセンスを取り稼業の割烹料理店を継ごうとしているんだとのこと。どこか境遇がボクと似ているかも、と思うとどこか親近感さえ湧いてきました。で、勝敗は4勝5敗。ビリヤードはかなり自信があったのですが、それは彼も同様だったようで「おっちゃん強いわ。久しぶりに負けそうやった。ホンマ、ホンマ」いやぁ、彼とのビリヤードは実に楽しい。勝負が拮抗するってのも俄然面白い。こりゃぁこの先楽しくなりそうだなと思いながら、引っ越しの片付けも終わらぬ嵐山へと向かうのでした。

翌日はびっくりするほどの良い天気だったことを覚えています。この天気がまずかったのです。
この日は授業ではなく、入学前に注文していた包丁などの料理道具の受け渡しの日でした。これが意外や意外すげぇ盛り上がったのです。包丁は5本がしまえる(セットできる)黒カバン、砥石もセットできます。それと帽子、割烹着、前かけが担任から渡されます。で、50人ちかい野郎どもが、出刃包丁だの刺身包丁の刃先を見つめてニタニタ、ニタニタしてるんですよ!? ちょっとヤバくないですかこの絵図ら。こうしてテンション上がりまくったまま本日は解散。これ包丁セット持ったままですよみんな、やな予感です。とはいえ解散なので、ボクら(宇治のボンと一緒です)はメシへ向かおうとします、と、横から「茶しばかへん、おっちゃん!?」ゲ•ゲェーッ 亀番、いや亀岡の元番長ですよ。でもなぜコイツにまでおっちゃんって呼ばれなくちゃいけないわけ!? 「オレは茶なんかしばかへんわ!!」とは言えず、「ええよ」となり亀番(?)の3人組が合流して何やら怪しげな5人集は、宇治のボンお薦めの“オムライスが美味い定食屋”へ。河原町通りに入ったところで亀番が「しかしなんやな、包丁ええなぁ~」とこんな人通りの多いとこで包丁はやめと・・・と言おうとすると他の3人も手に出刃包丁だの刺身包丁だの、ケースから出して太陽にかざしながらまたもやみんなでニタニタ。こりゃダメでしょ、こんな人通りの多いところで‥‥、結局通報されて御用ってハメに。「だからぁ、ったくお前らは!!」と交番で4人に怒鳴ったもんだから、逆にボクが警察官から主犯格として代表にされてしまい、「今から先生がくるから‥‥」と、その後うだうだ うだうだ20分、ボクが代表で絞られるハメに。おまわりさん3人が代わる代わるお説教です。一巡したところでやっとこさ調理師学校の担任到着。「森くん、君がおるのに‥‥」。エ~ッ、「ボクのせいですか~?」
これが入学2日間のトピックスです。どう思います? 

こんな感じでスタートした調理師学校、何やら不穏な空気満載ですが、どうなりますやら‥‥‥。次回Vol.4でよろしくどうぞ。

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