COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.3 「勘違い派から体感・体験派へ」 

2013-09-04

ビートルズで音楽に目覚めたボクは、高校に入ってからギターをつま弾くようになり、一層の音楽マニアへと進化しました。その勢いを持って大阪芸大へ進学。そこからがカルチャーショックの連続でした。数少ない4年制の芸大という事もあり生徒は全国から集まっていて、札幌出身のヘビメタ好き、モダンジャズマニアの仙台人、クロスオーバー好きの名古屋人に、フォーク好きの関西人、ビッグバンド派の広島人にメンタイロック狂の九州人と、それは全国から筋金入りの音楽マニアがごちゃりと集まっていました。

まぁ、出会う人間出会う人間かなりの強者ばかり。日本海生まれの田舎者などその足下にも及ばないほどの音楽知識・ギターテクニックの持ち主ばかり。毎日のようにカウンターパンチを食らっているようなもので、新しい出会いと発見に喜んでいる反面「いやぁ、なんてボクは田舎モンだったんだろう」と打ちのめされてばかりいました。当時のボクは大阪で弾みを付けてから東京へ出て、なんとか音楽畑で生きていけたらと甘い事を考えていたのですが、こりゃどうにも難しそうとアメリカへ逃げ出したのです。そして半年のアメリカ放浪の後は、音楽同様大好きだったバイクレースの世界へと方向転換。3年間はレコードをまわすでもなく、ライブハウスをまわるでもなく、ひたすらエンジンの鼓動を聴きサーキットをぐるぐるまわっておりました(笑)。

が、しかし4回生(関西では○年生ではなく○回生と言います)になる春、事件は起こりました。あの神様ボブ・ディランが初来日したのです。ビートルズの来日フィーバーに遭遇し損ねたボクは「ここはいくらなんでも乗り遅れちゃダメだろう」とフルスロットルでチケットを購入。まぁ、このボブ・ディランの初来日フィーバーがすごかったすごかった。あのNHKですら特番を組み、東京での武道館公演は実に8公演8万人動員と日本最大。その当時大きなホールのない大阪では松下電器体育館での初開催。会場の外には小さなホールが満杯になるんじゃないかというほどのダフ屋が出没、そしてボブ・ディラン号という京阪電車の臨時特別列車までもが登場するというお祭り騒ぎ(しっかり乗車しました! 切符は今でもコレクションしています)。前から6列目で体験したボブ・ディランはこりゃまたすごかった。何を隠そうこのボブ・ディランコンサートがボクの外タレ初体験。ボブ・ディランの表情が見て取れるほどの距離、つばが飛んできそうな勢い(!?)。しかも生まれてこの方聴いた事のないような大音量に、炸裂するオーディエンスの歓喜の声、そりゃ~もう鳥肌モノでした。あれをカルチャーショックと言わずして何と言おうか。とにかく大事件だったのです!

アパートに帰るや否や、興奮覚めやらぬボクはギターを引っ張り出しボブ・ディランのソングブックを拡げ、“♪How many roads~”と深夜に大声でひとり成り切りコンサート。翌日にはバイクを売りに出し、新たにギターを購入という、絵に描いたようなわっかりやすい展開 (!?)。サーキットをぐるぐるまわって寄り道した分を取り戻そうと音楽に精進したのであります(笑)。早速、大学の軽音クラブに戻り友人達とウエストコーストロックバンドを結成し、全国のライブハウスを行脚。と同時にいろんなコンサート・ライブへ足を運び新たな音楽との出会いを模索しました。

昨今、CDセールスが落ち込み音楽産業が縮小していく中でコンサートの開催、そして観客動員数の増加という現状は、ボクの大学時代のことを考えればある意味納得が出来ます。3千円を捻出して新譜(アルバム)を買うよりもライブへ足を運んでいましたからね。若いときには特に、ひとりで楽しむ音楽鑑賞よりもたくさんのオーディエンスと共に音圧を体験する方が、ずっと刺激的で価値のあるものと感じていたからです。やらなくちゃいけないことがたくさんある現代では出費も嵩みます。自ずと音楽ソフトの購入よりも、音楽を体験するライブのプライオリティが高くなってしまうというのは当然の結果かもしれません。また音楽関係者のひとりとして言っておくと、ライブの位置付けも近年は変わってきたように思えます。1980年代・90年代はCDセールスをアップさせる為に、そして新規のファンを捕まえる為にライブが存在していました。現在ではたくさんの人にライブへ足を運んでもらうよう、その入口となるアイコンとしてCD並びに配信があるようになってきたと思います。まぁ、最近ではソフト販売だけじゃなかなか儲かんないからね。その分ライブで収益を確保しようというわけです。20世紀は音楽産業がロイヤリティビジネスとして発展の一途をたどりましたが、21世紀に入り音楽のデジタル化そして配信へと急速に進化した事により、皮肉にも音楽産業の縮小化が始まりました。そこで再びライブ(コンサート)が見直され、音楽産業の中心に位置される事になってきています。エンタテイメントの王道への回帰というわけでしょうか。

音楽は体感するもの、体験するもの。それがボクの信条です。

さてさて、文中で書いたアメリカへの逃避行は我ながら抱腹絶倒の股旅となったので、次回はこのことを題材に話すとしましょう。

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