COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.4 「ちょいとQ&A」 

2013-10-07

さてさて、今回は抱腹絶倒のアメリカヒッチハイク横断旅行の話を書くつもりでいたのですが…、どうにも思い出が多すぎてなかなかまとまらず、どうしようかと思っていたところへ助け舟。コラム読者から質問をいただきました。よって今回はその質問に答えることとしましょう。

●「今まで観た中で一番印象深かったコンサートは?」

1990年に喜多郎の『古事記』というアルバムのコンセプトプロデュースを担当しました。レコーディングはサンフランシスコにある、あのジョージ・ルーカス監督のスタジオでした。このアルバムは製作に2年もの歳月を費やし、ルーカス監督からウェルカムパーティを開いてもらうわ、レコーディング開始3日目でサンフランシスコ大地震に遭遇するわ、翌年にグラミー賞にノミネートされるわと、ボクのプロデュース人生の中で何もかもが異例尽くしの思い出深いアルバムです。その『古事記』のワールドツアーでのことです。場所は翌年スペイン・バルセロナオリンピックが開催されるオリンピック体育館。コンサートのプロデュースはアメリカのチームだった為ボクは招待客としての参加でした。世界的に絶大なる人気の喜多郎の事、会場は超満員。ライブ中盤に差し掛かる頃、ボクは会場全体の雰囲気を把握しておきたいと会場後方の入り口付近の席へと移動。その時『饗宴(Matsuri)』というアップテンポなナンバーが始まりました。すると会場の床に寝そべった数十人の団体が奇声をあげだしたのです。「なんてマナーの悪いオーディエンスだろう?」とボクはしかめっ面になりました。ですが「一体彼らはどういう人たち?」とツアー・ディレクターに問いかけたところ、その答えに驚愕(!?) 「グーフィ、あれはマナーが悪いんでもなんでもないよ。彼らは耳の聞こえないハンディキャップのある人たちなのさ」、鳥肌でした。つまりこういうことです。彼らが床に寝そべっていたのは和太鼓によって奏でられる『饗宴(Matsuri)』のビートを体全体で感じるためでした。そして彼らの歓喜の声は割れんばかりのオリンピック体育館の熱狂をもかき消すほどのインパクトがありました。ボクは思わず目頭が熱くなったのを覚えています。自分が参加した音楽が遠い異国でこんな出逢いを創ってくれるとは…。あの時のバルセロナでのコンサートが今までで最も印象的なライブです。

●「プロデュースした中で一番印象深かったコンサートは?」

なんといっても、16年間プロデュースを手掛けていた福山雅治くんのコンサートということになるでしょう。中でも、2001年5月に開催した東京ドーム2day'sです。約10年掛けてライブハウス→ホール→アリーナと順調にライブ会場をステップアップしてきた福山プロジェクトにとって初の東京ドーム公演。「横浜アリーナの5倍のキャパでしょ。大丈夫、大丈夫」と、ボクも周囲には余裕を見せていたものの、ところがどっこい流石はドームです。幕張メッセを借り切ってのリハーサル、総勢300人を超えるスタッフの数、今まで以上のクオリティアップのため英国からの照明ディレクターの起用と、全てがボクにとって初体験尽くし。そりゃもう現場はバタバタのドタバタ。そして本番スタート、楽屋口からステージへ向かう福山が正面のスクリーンに大きく映し出されると「ワァァァーーーーーッ!!」と地鳴りのような5万人の大歓声が涌き上がりました。それは、横浜アリーナの5倍と高を括っていたボクの腰を抜かすほどの凄まじいパワー! 鳥肌を通り越して全身がサメ肌(!?) 様々なアーティストと様々な会場でコンサートを経験していますが、ボクにとって初プロデュースとなった福山雅治の東京ドーム公演は全てが異次元の体感・体験でした。

と、今回はご質問にお答えしたわけですが、次回はお約束通り抱腹絶倒の股旅をお送りします。
そして、今回のようにご質問があれば筆が進みます。実にありがたい。これからもよろしくどーぞ!

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