COLUMNCOLUMNグーフィ森の『Single Speaker』

Single Speaker Vol.5 「アメリカ横断旅行は8ビートの旅だった/Part.1」  

2013-11-19

さて、今回はお約束道りアメリカ横断旅行の話をしましょう。
モンキーズと間違えてビートルズに出逢い、ロックの洗礼を受けたボクはヒッピー、反戦、サイケデリック、フリーダム、ラブ&ピース、そしてアメリカンニューシネマと時代の流れにどっぷりと浸かっていき、アメリカかぶれへと。そして大阪芸大へ入学。これが毎日ビートルズに出逢った時のようなショックの連続。とにかく音楽の猛者ばかり。とんでもない音楽知識のオタクや、それはびっくりするほどのスーパーテクニックのギタリストなどなど。ボクの出る幕などないような環境です。これには困った困った。全くの計算違いでした。芸大に入学すれば一流のミュージシャンを目指すチャンスに恵まれると甘く括っていたボクの大誤算! で、国外逃亡。1975年のことです。

その旅行はバックパックを背負ってのアメリカ横断ヒッチハイクの旅、ボクとしては上出来のシナリオです。ですが、これがまたまた大誤算。もはや喜劇のようなドタバタ続きの旅でした。そのドタバタ・エピソードをご披露しましょう。

●アメリカは遠かった!? 
まず、皆さんに訴えかけておきたいのは、当時1$は300円だったということ。まだまだ海外旅行は珍しいことで、ボクが目指していたバックパックを背負ってのヒッチハイク旅行など無謀すぎるチャレンジだと思われていたということです。そんな時代です。'75年当時は大阪からのアメリカ直行便などなくボクのチケットは大韓航空の韓国、アラスカ経由ロサンゼルス行きでした。しかし、夢のカリフォルニア・ロサンゼルスに到着したのは伊丹空港を発ってからなんと3日後のこと。なぜなら韓国の金浦空港を飛び立って数時間後「やっぱ空は青いなぁ~」なんて呑気に窓から外を見ていたらなんと右翼エンジンが火を噴き出したのです! そのままエンジントラブルにより飛行機は金浦空港へUターン。なんと1泊目は機中でもなくロサンゼルスでもなく金浦空港のホテルという始末。更に追い討ちをかける様にトラブルは続きます。出発2日目のアンカレッジ空港で「バゲージが届いていません」と驚きのメッセージ。次の便で届くまでなんと半日の空港待機。ほんとトホホです。なんとも前途多難な幕開けとなりました。

●ヒッチハイクは難しかった!?
やっとロサンゼルス空港に到着しヒッチハイクをはじめるも、初めてのクルマに乗車出来たのはカリフォルニアの青い空が綺麗な夕焼けに変わっていた頃の事です。空港に到着したのが午前中でしたから、何時間道に立っていたことやら。とにかくクルマがつかまらない。アメリカはヒッチハイク天国と思っていたのに大誤算です。何度も何度も断られおまけに寄り道をしつつやっとのことでサンタモニカのモーテルに到着したのは午後10時を回った頃でした。この半日間で学習したこと、それはヒッチハイクはとにかく“ノリ”が大事だという事。「すみません、お手数ですが○○まで乗せて行っていただけないでしょうか?」と丁寧にヒッチハイクしたのではダメなのです。クルマが止まるや否や勝手に乗り込んで「ハァ~イ、日本から来たんだ。○○まで乗っけて行ってくんない?」こうじゃなくちゃダメなんです。丁寧すぎるナゾの東洋人のバックパッカーは、そりゃ不気味なのです。“ノリ”です。アメリカは“ノリ”が大切なのです。

●本場のハンバーガーは巨大だった!?
サンタモニカに到着するまでに行っておきたかったところが2箇所ありました。ハリウッドとUCLA。これがすぐお隣同士かと思えばこれまた勘違いも甚だしい。あとで聞いたところによると、ロサンゼルスは関東平野に匹敵する大きさとの事。それはデカいのです。デカいと言えば、ハンバーガー! 日本を出発する前からアメリカに到着して最初の食事はハンバーガーと決めていました。これが毎度の大誤算。注文をしようとカウンターに立つとメニューのどこにも大好きなフライドポテトがない。あたふたしながらもチーズバーガーとポテトらしき写真のフレンチフライをオーダー。あろうことかラージを頼んでしまったのです。するとまるでお好み焼きほどもあろうかという大きさの超巨大チーズバーガーとフレンチフライなる食べ物がまるでバケツのような容器に入ってドカーンとレジ横へ。ロサンゼルス到着後初めての食事は大食い選手権になってしまいました(笑)。ちなみにこのとき初めて知ったのですが、本場ではフライドポテトのことをフレンチフライと呼ぶのです。教訓:とにかくアメリカは全てがデカい!?

●シンガーデビューはUCLAのキャンパスだった!?
ロサンゼルスで最も行ってみたかった場所、それがUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)。アメリカの大学が広い広いとは聞いちゃいたけど、まさかこれほどとは。ショップ街はあるわクルマはバンバン走っているわ、行けども行けどもキャンパス。あまりに広いキャンパスゆえに移動にシャトルバスが走っています。まるで街です。ナゾの東洋人バックパッカーはすっかりおのぼりさん状態でキョロキョロ。するとたくさんの学生が声を掛けてくれます。(やっぱナゾの東洋人は珍しいのかなぁ?)どうやらボクが珍しかったのではなく、持っていたギターケースに様々な落書きが書かれステッカーがごちゃりと貼ってあり、それが日本語だった為に注目を浴びてしまったようです。「どこから来たの?」「ギター弾くの?」とキャンパスのどこへ行っても質問攻め。挙げ句の果ては歌を歌う羽目に。ボブ・ディランだの、ニール・ヤングだの知ってる限りのアメリカンロックを熱唱するのですが、さっぱりウケない。「こいつらノリが悪いなぁ!?」、そんなわけはないのです。オーディエンスのノリが悪いのではなく、ボクの英語の歌が全く意味不明なのです。そりゃそうだ、ヘタな英語のボブ・ディランなど聴きたくないのは当然です。そんな時「日本の歌を歌ってみてよ、ヘタクソなアメリカンポップスじゃなくてね」と誰かが助け舟!? 随分ストレートな言葉にナゾの東洋人バックパッカーはちょいとメゲたのですが、気を取り直して大好きな井上陽水を歌いだすとやんやの喝采。やっぱ“ノリ”なのです。自然体のね。ちょいとカッコつけようとすると失敗するのです。井上陽水の歌を10曲ほど歌い終わった頃には50人ほどの学生に囲まれていました。しかも彼らから夕食まで御馳走になり、尚且つ正しいヒッチハイクの方法とサンタモニカへの行き方を教わったのです。この先ニューヨークまでのヒッチハイクの旅にとってとてもいい経験でした。

とにかく、UCLAでの出来事は非常に思い出深いものになりました。言葉よりも何よりも音楽はとてつもない力のあるコミュニケーション・ツールであることを痛感させられたのです。サンタモニカ・UCLAを出発する時には20~30人の学生達が見送りまでしてくれました。まるで『Goofy on stage at UCLA』くらいの気持ちでほくそ笑みながら乗せてもらったトラックから見送りの学生へ手を振ったのを覚えています。トラブル続きで始まったこの旅の4日間は本当に様々な経験がギュッと濃縮されていました。初のアメリカ横断の旅のイントロダクションとしては上出来です。旅は当然まだまだ続くのですが、ここらでひと呼吸。このイントロダクションを旅行記のPart.1とし、次回Part.2でニューヨークまでの過程を紹介する事にしましょう。

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