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グーフィ森のSingle Speaker

プロフィール
1956年、京都府生まれ。大阪芸術大学卒業。雑誌「ポパイ」「ターザン」などの編集を手掛け、フリーランスのエディターとして活動。
その後、音楽・映像のプロデューサーとして様々なアーティスト(今井美樹・喜多郎・福山雅治など)、並びにイベント、商業施設、CM等を手掛ける。
また、MTV JAPANの創立時の総合プロデューサーでもある。
編集者の経験を活かした多角的な視野から構築されるプランニング&プロデュースで数多くの作品を送り出している。
2008年夏に脳幹出血により倒れ一線から身を引き、ただいまリハビリ奮闘中である。
そして自身がプロデュースするラジオ番組もオンエア中!番組詳細はこちら

2013-12-03
Single Speaker Vol.6 「アメリカ横断旅行は8ビートの旅だった/Part.2」  
●『Four Corners』でアメリカンロックは大地から誕生した音楽だとわかった
やっぱりカリフォルニアはかっこいいなぁ、と実感したサンタモニカビーチを後にして向かった先は『Four Corners』。Four Cornersとはコロラド州、ユタ州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、この4つの州の境界線が1点で交わるという奇跡の場所。高校時代に読んだ『ナショナル ジオ グラフィック』の記事でその場所を知ったボクは、死ぬまでに絶対一度は訪れてみたいと思っていたんです。まぁ、当然のようにその奇跡のポイントまでには長距離トラックなどを乗り継ぎ丸2日も掛かりました。ロサンゼルスでヒッチハイクのやり方、モーテルのチェックイン方法、レストランでの食事の取り方は経験済み。手慣れたもんです。ですが、またまた大誤算。Four Cornersに着いてみるとそこは荒野のど真ん中、記念碑以外なーーーんにもないところだったのです。奇跡のポイントというからにはさぞや観光名所として賑わっているんだろうなと思っていたのに、トラックから降ろされた奇跡のポイントには見渡す限りボク一人っきりという、これまた奇跡(笑)。されどこの場所に来た事を記録に残さねばと、離れたところにある唯一の土産物屋のおばさんに頼んで記念写真をパチリ。しかしその後がやはり大変でした。なかなか次に乗せてくれるクルマが見つかりません。観光バスは停まるのですが、当然無賃乗車はNG状態。で、相も変わらず奇跡の一人ぼっち(笑)。ならば「この大いなる一人ぼっちを楽しまねば!」と開き直ったボクは荒野のど真ん中でラジオをつけてみました。すると、どのステーションからもパワフルなアメリカンロックがガンガン聴こえてきます。これが見渡す限りの荒野にハマるハマる。どちらかというとフェイバリットとしていなかった音楽をこれほどかっこいいと感じ、そして愛おしいとさえ思えた事はびっくりの初体験でした。暴力的なまでに広い荒野ではおしゃれな英国産のビートルズじゃないんだよね。この大地あってこそアメリカンロックが存在するんだろうなと感心する事しきりの奇跡の一人ぼっちでした。(※現在『Four Corners』は多くの観光客が訪れる名所となっています)

●一日25マイル歩くのにギターケースは重すぎた!?
『Four Corners』の次に目指したのがテキサス州アマリロの郊外にある『キャデラックランチ』でした。'74年に誕生したというこのランドマークは、かのルート66沿いに10台の本物のキャデラックを突き刺したという巨大アート。雑誌の写真で観たとき「すげぇ〜〜!! 行ってみてぇ〜!」となった場所なのでした。しかし、ここを目標地としたのは毎度毎度の大誤算。まずみなさんに訴えたいのは、Four Cornersからテキサス州アマリロへは言ってみれば東京から広島を目指すようなものということ。それは大変な距離なのです。それなのに、刺すような太陽が照りつける暴力的に真っ直ぐな道が延々と続く中、一向にクルマは止まってくれません。その理由がわかったのは、辺りが暗くなってきた頃にけたたましいサイレンと共にパトカーが登場した時です。「この州がヒッチハイク禁止だってこと知ってるのか?」「エッ〜!! 聞いてないよぉ」な、な、なんと登場した警察官はライフルを持っています。「冗談じゃない、ボクはキャデラックランチもゴールであるマンハッタンも見ずにここで死んでしまうのか!?」。しかし、この映画のようなワンシーンでさえ震え上がりながらも「これはオイシイ、出来過ぎたシナリオだ」などと良からぬ事も考えていました。すると「ここからは歩け!」とライフルを持った警官。そしてもう一人の警官が水を差し出しながら「これを飲んでりゃ死ぬことはない」と、これまた映画のワンシーンのような展開。ここでも妄想好きのボクはピーター・フォンダとデニス・ホッパーのようなバイクにまたがったヒッピーが現れ「コイツは俺たちの友達さ」とボクを連れ去ってくれる、……な〜んてことになるわけはないのです。この場所から暗い中歩いた歩いたおよそ25マイル。足にはマメ、ギターケースを持つ腕はパンパン、朝の6時にたどり着いたガソリンスタンドで久方ぶりのコーヒーを飲んだときには、とにかくその香りに、その美味しさに涙、涙。「なんでまたこんなに重い大きな荷物を持って来たんだろう?」と反省しきりだったのですが、考えてみるとアメリカ初のひとり旅のボクを何度も助けてくれたのはこの重いギターケースでした。素性の知らない東洋人のにわかバックパッカーに「ギター弾くんだ?」「どんな音楽が好き?」と親しく声を掛けてくれたのはこのギターケースがあったからこそ。本当にいいコミュニケーションツールとなっていたに違いありません。「音楽好きで良かった〜、やっぱ音楽は国境を越えるねぇ」とルート66の標識の前で記念撮影をしながら想いに耽っていたボクでした。
Four Cornersからアマリロまではこの旅で最も過酷な4日間でした。そんな中で素敵な言葉をひとつ覚えました。それはあまり英語が得意でないボクにとってはまるで魔法のような言葉でした。「Sounds good!」日本語で言うなら「いいねぇ〜」とか「いいじゃん!」というスラングです。「乗ってけよ」と止まったクルマに言われると親指を立てて「Sounds good!」。ノリが最も大切なヒッチハイカーにとっては正に必須アイテムといったところでしょうか。ただちょっと使い方にはコツが必要です。あまりにノリが良くなって、まるでネイティブ・スピーカ-のようにSounds goodを使ってしまうと「コイツ英語しゃべれるんだ」となってしまい、それは恐ろしい程の早口で畳み込まれてしまうのです。当然ボクは呆然!? 

●ニューヨークはなんだか憂いのある街だった!?
何十回「Sounds good!」を得意げに使ったでしょうか。何台の長距離トラックを乗り継いだでしょうか。何人のドライバーと出会ったでしょうか。テキサス州から3週間かけて憧れのニューヨーク・マンハッタンに到着しました。まぁ、そこまではとにかく色々ありました。何度も警察官にライフルを向けられましたし、かと思えば怖いヒッピーのバイカー達のコミューンで宿を取ったり、馬ではなくモトクロスバイクにまたがったカウボーイの牧場に招待されたりと、映画のような毎日が続きました。お世話になった牧場では「子供を学校へ送って行くから一緒に行かない?」と牧場の奥さんに誘われたら、な、な、なんと通学は自家用機!? マイカーではなくマイプレインという日本では想像も出来ないようなシチュエーションに田舎モノの東洋人は驚かされっぱなし。この3週間のヒッチハイクで学んだ事は、カントリーミュージックにしろアメリカンロックにしろ、この広大な大地あってこそ生まれた音楽なんだということ。テキサス州やオクラホマ州の広大な土地でクルマに乗っていると、まぁ〜似合う似合う。カーラジオから流れてくるカントリーミュージックやアメリカンロックに思わずノリノリ。ビートルズ一辺倒だったボクがですよ! 大地から生まれる音楽の威力を思い知らされました。大いなる大地を駆け抜けてたどり着いたマンハッタンには、そりゃ圧倒されました。まだ西新宿の高層ビルもまばらだった頃の事ですから、マンハッタンの摩天楼群には強烈な一撃を食らいました。見上げるばかりの高層ビルとあらゆる人種が忙しく行き交う街並み、それはとんでもなくエネルギッシュで正に世界の中心地と呼ばれるに相応しいパワフル・シティ。西海岸ではウエストコーストロック、中西部では雄大なビートのアメリカンロック、そして南部ではカントリーミュージックと、その土地その土地で様々なジャンルの音楽を刻み付けてくれたアメリカの大地。このマンハッタンではどんな音楽を教えてくれるのかと考えていた夕暮れ。立ち寄ったショットバーで流れていた『M・J・Q(モダン・ジャズ・カルテット)』がボクの心にクリーンヒット。どこかしら悲しげというか憂いを秘めたサウンドが摩天楼の夕景にドンピシャ。ジャズなど聴きもしなかったボクを完全に魅了してしまいました。シチュエーションて本当に大事なんです。それが出会い頭だったりするとその威力は二倍三倍にもなります。

1975年、19歳だったボクは初めての訪米をバックパックを背負ってのヒッチハイカーとして旅しました。この体験でアメリカが大いなる田舎(いい意味で)であったことと、アメリカの音楽はその大地から誕生してきたのだという真実を心に刻み付けたのです。その旅から数年後、ボクはフリーの編集者となり世界中を旅することになりましたし、その20年後「MTV JAPAN」の総合プロデューサーとして毎月のようにニューヨークを訪れることになりました。またその30年後には毎年西海岸にレコーディングへ出掛けるプロデューサーとして音楽を生業とする身になりました。そう考えてみるとボクの原点はこの1975年のバックパッカーとしての旅にあったと言えるのかもしれません。

旅はたくさんの出会いを生みました、旅からたくさんのチャンスが生まれました。
新たなリズムに乗って新しいメロディを奏でる為にも、また旅へ出掛けたい…。

※『Single Speaker』に関する感想・質問などがあれば下記アドレスまでドシドシどーぞ!
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