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グーフィ森のSingle Speaker

プロフィール
1956年、京都府生まれ。大阪芸術大学卒業。雑誌「ポパイ」「ターザン」などの編集を手掛け、フリーランスのエディターとして活動。
その後、音楽・映像のプロデューサーとして様々なアーティスト(今井美樹・喜多郎・福山雅治など)、並びにイベント、商業施設、CM等を手掛ける。
また、MTV JAPANの創立時の総合プロデューサーでもある。
編集者の経験を活かした多角的な視野から構築されるプランニング&プロデュースで数多くの作品を送り出している。
2008年夏に脳幹出血により倒れ一線から身を引き、ただいまリハビリ奮闘中である。
そして自身がプロデュースするラジオ番組もオンエア中!番組詳細はこちら

2015-09-16
Single Speaker Vol.25 「五感で実体感(!?)せよ!」 
今回は雑誌ポパイでの初めてのハワイ取材をお話しましょう。当然、自立打ちです!

なぜゆえ初の海外取材ではなく初めてのハワイ取材なのかというと、もちろんそれにはちょいと理由がありまして……。

ボクが雑誌『POPEYE』の編集に参加しだしたのは80年代の初頭。じつはこの頃の『MAGAZINE HOUSE』の社名は『平凡出版』といったんです。で、83年に社名を変更し本社も新社屋ビルへと変身(?)したんです。この頃から編集部の在り方は大きく様変わりました。社名変更前、編集部は本社近くの首都高内周り銀座入口前にあった雑居ビルの中に『POPEYE』と『BRUTUS』は入っていたんです。そして社名変更を期に、ビックリするほどお洒落になった東銀座 歌舞伎座裏の新社屋へと移転することとなったんです。当時マガジンハウスが発行していた全ての雑誌編集部と共に新社屋に移転・集結し新たな雑誌作りがスタートしました。

なにやら新しい何かが始まるんじゃなかろうか、という期待でどの編集部もワクワク・ザワザワしていたように覚えています。以前の編集部は、1フロア1編集部だったものですから、広いフロア、お隣に『BRUTUS』右隣に『週刊平凡』そのまたお隣には『anan』の編集部が続くという環境は新鮮そのものでした。その真新しい環境に「スゲぇ〜、まるで出版社みたい!」と少々意味不明な興奮状態にあったボクでした!? そして編集部の引っ越し作業もまだ片づかない頃、編集長から「オリーブの編集部から内坂が戻ってくるからさ、ヨロシクね」というビッグニュースが発表されたのです。新しい社名、そして新社屋に新編集部、そして誰もが想像すらしていなかった大御所の里帰り(失礼ッ!)。ザワザワはどこまでも続きます。さらに追い打ちをかけるように編集長から「お〜いグーフィ(そうなんです。古今東西、編集長は遠くから叫ぶもんと決まっています)、来月内坂とハワイ取材ヨロシクね」。いつもこうでした。重大発表は決まっていつだって突然なんです。それがマガジンハウス流でした(!?)。

ここで皆さんに説明しておきましょう。大御所内坂氏とは、まさにPOPEYEのいわゆるレジェンド編集者なんです。POPEYEの前進と言われる伝説の雑誌『made in USA catalog』からの生え抜きポパイ編集者。しかも“スグレモノ”など現在では当たり前のように巷で使われている数々の“ポパイ言葉”の生みの親とも言われている、まさにレジェンドの中のレジェンド。もちろん新参者のボクは取材をご一緒したことなどありません。それが一緒にハワイ、しかもオアフ島以外の島だけで特集を組むというのだから、さぁたいへん(!?)。「えらいこっちゃ!」とボクはもちろんガチガチに硬直です(?)

緊張硬直が解けないままその日はやってきました。「グーフィだよね?ヨロシク!」。「キッタ〜ッ!」とはもちろん言ってませんが、直立不動に限りなく近かったはずです!? しかし黒い。冬だというのにコンガリいい色に日焼けしてる。おまけに驚くほど若く見える!どう見てもボクよりも年下、ヘタすると20代!? いやいやレジェンドは大先輩のはず?? と失礼にも不審者の如くキョロキョロ上から下から……とそのときレジェンドが「グーフィ、先に行って下調べヨロシク!」と驚愕の発言。ハッキリ言ってその時の記憶は半分白く飛んじゃってます!? 「だ・誰と行くんですかぁ?」。「そりゃ一人でしょ!」。「コーディネーターは現地ですか?」。「いやオマエだけ。当然でしょッ!」。やっぱり硬直したのです!!

その硬直から2週間後にはボクはホノルル空港に一人降りたっていました。さぁてここからが大変です。初体験ではないものの、手慣れた海外取材なわけはありません。いつもは、目的地の空港には現地コーディネーターが出迎えに来てくれているというのがお決まりでしたからね。頭の中は明日から始まる一人取材のことでいっぱいいっぱいです!? 「まずはここから、次はここでこう取材して……」とブツブツひとり言の不気味な若者が乗り換えターミナルに向かっております。と、アナウンスが「ハワイ島行きは雷雨のため…….」。「うっそ〜!」そうなのです、大変な事は大変な状況の時にこそ起こるものです!? 乗り換えターミナルに、雷雨が収まり運行が再開されるまでの5時間余り、取材地の下調べに汗だくで取り組むひとりの編集者がおりました!?

ハワイ島コナの空港に着いたのは夜9時過ぎ。ビッグアイランドは、いい意味で田舎ですから空港周辺はもう真っ暗。心細さMaxに拍車をかけるシチュエーションも満点です。ハワイ取材の編集タイアップでお世話になるAvisレンタカーへと……「エ〜ッ! こんなデカいんですかぁ」。出てきたのはジープのトラックのようなワゴン。そうですそうです、クルマ取材の多いボクはなんでも乗ってますョ。と言ってもこんなデカいRVは〜さすがに〜。ですがそこはクルマ好きデス。広い道幅で道路はガラガラ。自称クルママニアは俄然平常心を取り戻して、ス〜イス〜イとコナコースト・ハイウェイをこれまた編集タイアップ先の“Sheraton Resort”へ。

「マガジンハウス様ですかぁ、ご予約は入ってないようですが……」。「エ〜ッ!」何度確認をしてもらっても「We don’t have a reservation!」と受付の彼の語気がどんどん強くなる。え〜い、日本男子たるものここで怯んでなるものか(!?)と、「予約リストを見せてもらえませんか?」とありったけの英語ボキャブラリーで迫る! その形相がよほど怖かったのかはたまた真剣さが伝わったのかは定かでないが、ロコっぽい受付カウンターの彼は予約リストを渋々ボクへ……とリストにJALの文字。この文字を見つけたとき、確かにボクにスポットライトが当たったような……そうです。この取材はJALとアメリカ政府観光局が全面バックアップで行われているのです。JALの3文字を見つけたとたん、ボクはさっきまでがウソのように饒舌に(だったはずです?)部屋の交渉を続けたのです。マガジンハウスではなく、JALで予約されてたのです。どうりで話が噛み合わないはずです。ボクの英会話力のせいではなかったようです。エヘンッ(!?)。しかし、ボクのドタバタなチェックインを見ていた数名のホテルスタッフが、クスクス笑っていたことがどうにも気になります。これはその後の下見中にもクスクス続きます。このナゾは通訳を兼ねてこの取材に遅れて参加したアメリカ人ポパイスタッフのハワイ到着後に解明されるのです。

日本から来たMAGAZINE HOUSEのGoofy Mori(ようは海外取材用の名刺です)。これを直訳すると「日本から来た雑誌の家のまぬけな森」となるのである。どうりで……と、4日遅れで到着したスタッフの説明にえらく納得!? ボクのペンネームは、その当時の編集キャップ(現マガジンハウス社長)と同僚カメラマンが、スケボーやサーフィンがグーフィースタンス(左利き乗り)であったことと、当時ボクがいつもダボダボのオーバーオールにワークブーツという出で立ちだったことから付けられたニックネームだったんです。それがそのままペンネームとなってしまったわけです。

しかしこのペンネームには助けられました。何せ“雑誌の家のまぬけ野郎”ですから!? クスッと笑いが取れ、場を和ませ名前を覚えてもらえるんです。無敵です。慣れない一人下見もこの無敵の名前のお陰で和やかにスイスイ進みました。毎日クタクタになってホテルに帰ると、次はその日の下見の成果を壁に貼り付けた大きなケント紙にマップ仕立にして書き込んでいく。このショップが面白そうだとか、この店のハンバーガーは食べるべしとかとか。このマップが完成して長い1日がやっと終わる。4日後に到着する内坂氏率いる編集部一行に早く見せたくて見せたくて、食事は1日6食、ケーキなどデザートが4つにコーラが10杯、アイスクリームが……そしてこのショップのグッズはおみやげに……てな具合に、信じられないほど頑張ったことを今思い出してもザワザワします。キラウエア・マラソンも走りましたし、マウイ島のハレアカラ山頂からの自転車によるダウンヒルツアーにも参加しました。こんな調子でハワイ、マウイ、カウアイ島をぐるりのハワイ初取材の3週間。今思えば、この取材旅がボクのクリエイティブの原点となっているように思います。内坂さんからは、取材は五感すべてを使って、まずは実体感(?)すること! というポパイ流の取材を叩き込んでもらったんだと思っています。後に、その“ポパイ流”は『POPEYE』創刊時からの言わば“掟”のようなものとして存在していたことを知ったのです。他人に感動とか喜びを伝えたいのなら、カラダにも心にも汗しなさいってことですかね……。

この“ポパイ流”は、その後のボクの音楽制作にも、CMにもライブ制作にも、すべてのクリエイティブに大いに役立だった、言わば“無敵の教え”と言えるのかも知れません。

また長くなってしまいました。自立打ち第3弾でした。ではでは……。

※『Single Speaker』に関する感想・質問などがあれば下記アドレスまでドシドシどーぞ!
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